バラ十字会

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神秘学の達人、レオナルド・ダ・ヴィンチ

Leonardo da Vinci, Master Mystic

H. スペンサー・ルイス博士、バラ十字会元世界総本部代表

By Dr. H. Spencer Lewis, (1883-1939) First Imperator of Present Rosicrucian cycle

ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図

ダ・ヴィンチの 「ウィトルウィウス的人体図」

 学問的な業績では、称賛しているのに、美術や音楽の分野でも偉大であるということについては、単なる事実として書いてあるだけということは、伝記や歴史の本には、よくあることのようです。美術や音楽における偉大さは、神々から授かったものと考え、必ずしもその人自身の努力や日ごろの訓練を示すものだとは考えず、そしてそのような祝福を受けるだけの価値をその人は示したのだとは考えないのが、人の常かもしれません。一方で、学問の素晴らしい業績は、本人の意志や努力によるもので、時間や思索を多大に費やして達成された業績であると考えられています。

 そのため多くの作家は、レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術的な才能については、簡単にしか触れていません。彼らはダ・ヴィンチの絵画のいくつかが、この上なく見事な技量を表現していることを知ってはいますが、むしろ、科学における彼の業績を非凡なものであると賞賛し、その結果、彼のことを芸術家というよりは科学者であると考えています。その一方で、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いた著名な画家として、彼を愛し称賛してきた多くの人々は、科学に関するあらゆることに彼が精通していたことを初めて知ると、たいていの場合とても驚きます。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが、芸術と科学の両方の分野において達人の域に達していたという事実以上に、おそらくこの記事をお読みのみなさんの関心を惹きつけるのは、彼が神秘学の分野でも達人の域に達していたという事実でしょう。神秘学の達人であったということこそが、他のどんな理由にも増して、芸術と科学という分野で、彼が唯一無二の達人となれた原因であることに間違いありません。以前の人生で、その芸術的な才能と、科学知識の両方の分野で、彼は基礎を築いていたのだと仮定しましょう。それでも、私たちが理解しなければならないのは、彼は、神秘学の分野で以前の人生よりはるかに進歩したことによって、この2つの知の分野において、比類のない地位を獲得することが可能になったということです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年にトスカナ地方の山あいの町ヴィンチで、フィレンツェの公証人であった父と、小作人であった母との間に、非嫡出子として生まれたと言われています。父が大金持ちだったので、幼いレオナルドには、フィレンツェで素晴らしい教育が授けられました。フィレンツェは当時、イタリアの知と芸術の中心でした。若い頃のレオナルドは、とても印象的で、端正な外見と迫力ある体格の持ち主で、とても洗練された、会話の上手な人物でした。

ダ・ヴィンチのモナリザ

モナ・リザ Mona Lisa
提供:ウィキペディア・コモンズ

 彼は若いころから、自身の魂と心にある夢を、音楽として表わす生来の能力を発揮し、フィレンツェの音楽界で最も優秀な即興演奏家として知られるようになりました。その一方で、ちょっとした暇をみつけては、鉛筆やクレヨンで、自身の思いつきを、素早く巧みな筆さばきで描写し表現する能力を発揮しました。

 しかし、天賦の才を与えられた者には常に起こることですが、彼の中に、特別な知識に対する飽くなき欲求が生じました。それは、当時は神秘や秘密であると思われていた知識でした。ダ・ヴィンチは、いくつもの学術的なテーマを探究していましたが、それに関連する事実を探しに、公共の図書館や学校の図書室や資料室によく出かけました。そんな時はいつでも、もっと深く、そしてより広く研究されるべきなのに忘れ去られてしまっている書物の中に、思いがけないテーマを見いだして夢中になったと言われています。自身が生まれつき持っていた芸術的な才能を高めようと、真剣に考え始めるずっと以前から、彼は自然科学に関するテーマ、中でも自然の法則と形而上学的な法則に、熱心に取り組んでいました。

 芸術的な才能を開花させた後に、ダ・ヴィンチは王や宮廷や教会や国家から、絵画を制作するよう依頼されました。しかし、そのような仕事に、自然や形而上学的な法則の探究に匹敵するほどの重要性を、彼が感じることは一度もありませんでした。彼の絵画は幅広いテーマにわたっていて、その数がとても多かったので、芸術以外の何かに彼が関心を持っているということを、ほとんどの人は知りませんでした。

 しかし、過去の人生から才能を携えてきた絵画というテクニックを、ダ・ヴィンチは偉大だと感じていましたが、もうひとつのテクニックも、それと同じくらい偉大だと感じていました。“宇宙”を探究したいという気持ちが強くなり、まもなく彼はバラ十字のテクニックに触れることになりました。彼は芸術家としてだけでなく、もうひとつの職業も専門にするようになり、神秘学分野の著述においても、傑出した人物になったのでした。

バラ十字との出会い
Rosicrucian Association

 レオナルド・ダ・ヴィンチがバラ十字会員たちと最初に出会ったのは、フィレンツェで学業を修了しようとしている頃でした。その数年後、彼はある修道院を何度も訪ねました。その修道院は、現在アマルフィとして知られているところにあったと考えられています。その修道院で彼は、バラ十字の神秘学の秘密の学派のひとつと接触するようになりました

 そして、この頃に彼はバラ十字の技法と神秘の手ほどきを受け、会が所有していた写本と実験室を用いて、この分野に熟達するための準備を少しずつ整えていきました。様々な実験が開始され、彼はそのことを手稿に書き綴りました。その手稿は、現在は、偉大なひとりの達人の秘密の著作として知られています。

 評論家で哲学の研究者であった、ヒューストン・スチュアート・チェンバレンによって、ドイツ語で書かれたダ・ヴィンチの評論の中には、次のような文があります。「これほど偉大な画家はかつて存在しなかった。そしてこの偉大な画家はデューラーに似ていた。それどころか、デューラーを超える優秀な数学者であり機械技師であった。同時に、日ごとに明らかになっているのだが、すべての分野におよぶ知性の持ち主であり、自身の目で見たもののすべてを見抜く〈賢者〉であり、疲れを知らない発見者であり、おそらくは、この世界に今まで一度も現れたことがないほど、深く大胆な〈思想家〉であった。」

 ダ・ヴィンチの出版されていない手稿の多くは、世に出るふさわしい時を待ちつつ、注意深く保管されています。現在は友愛団体の高い地位にある奉仕者にだけ、秘密裡に知らされている科学的事実が、それらの手稿には含まれています。他の手稿は何世紀も前に出版されており、宇宙創造説や生理学だけでなく、気象学における驚くべき観察、潮位に対する月の影響、大陸の上昇を計算する方法、化石化した貝に関する法則や原理等々を扱っています。

 ダ・ヴィンチは水力学を考案し、比重計(液体の比重を決定するために用いられる計器)を発明しました。川を運河に変えるという彼の構想は、現代の農業土木工学に、たいへん有用なものとなっています。彼は、労力を節約するための数多くの装置や機械を発明しました。その多くは彼の時代としては驚くべきものでした。

  古代の神秘学派の学問の体系や著作とダ・ヴィンチは同じ意見であり、「初めに、神は幾何学的に世界を創造した」という神秘学的原理を信奉していました。そのため、ダ・ヴィンチの書いたあらゆる手稿は、幾何学的象徴に満ちていて、すべての法則と神秘学の原理が、数学的に調和を保ちつつ活用されています。極めて重要なものであるとされている彼の手稿のひとつの冒頭の部分には、次のような意義深い言葉が書かれています。「数学者でない者は誰一人としてこれを読んではならない。」つまり、神秘学的な幾何学の探究者でない者は、誰一人として私の著作を読んだり理解したりしようと、試みてはならないということです。

 彼の業績を全体として見ていくと、次のような疑問が浮かびます。その絵画を、魅力的で、印象的で、他とはまるで異なる、独自の性質のものにしている技法は何なのでしょうか。疑いなく、それは神秘学という要素です。「モナ・リザ」の絵は、おそらく最も神秘的なもので、あらゆる肖像画の中で、最も分析が難しいものです。絵画の技術について知らない人でさえ、その魅惑の魔法にとらわれてしまいますが、この女性の表情の捉えどころのない微笑みについて、説明することはできません。

 「最後の晩餐」として知られている、ミラノにある有名な絵画の前にも、幾多の人々が立ち、畏敬の念と高い精神性のかもしだす謙虚さを感じてきました。しかし、人々の魂にはっきりと訴えかけてくる神秘的な物語とともに、この絵を生き生きとしたものにしているのが、いったい何であるのかを説明することはできませんでした。

ダ・ヴィンチの最後の晩餐

最後の晩餐 L'Ultima Cena
提供:ウィキペディア・コモンズ

 私はこの絵を注意深く分析し、少なくとも17の神秘学的原理を見いだしました。しかし、それ以外の、さらに重要な事柄を、まだ見つけていないと感じています。ダ・ヴィンチを科学者として有名にしたどころか、自然の偉大な法則を明らかにした第一級の人物にしたのは、彼の科学的業績のうちのどれなのかと、尋ねる人がいるかもしれません。その時私たちは、通常は物質的であり、純粋に科学的であると考えられてきた様々な事物の中に、彼は神秘を発見し、その神秘こそが、彼を有名にしたのだと認めざるを得ません。

真理を受け取るための経路
Channels of Reception

 ダ・ヴィンチの主要な主張のひとつは、五感だけではなく、サイキックな感覚、あるいは魂の感覚が、そして、特に目とその機能が、普遍的な真理を受信するための理想的な経路であるということです。さらに彼は、目が最も重要で、次に重要なのは耳であると主張していました。

 彼は、画家が解明することのできる偉大な真実を、詩人は明らかにすることができず、音楽家は、詩人よりもこのことに優れていると述べています。画家は、あらゆる人の中で、この点では最も有能であると彼は評価しています。このことに関する次のようなダ・ヴィンチの説明は、完全に神秘学的であり、まさに健全で合理的です。詩人が与えることができるのは、一度にたった一つの印象と一つの観念だけであり、その理由は、詩人が使えるのは言葉に限られているからである。言葉は、目でひとつずつ見なければならず、一度に限られた印象しか伝えることができないとダ・ヴィンチは主張しています。したがって、絵や音楽などの中では、基本的要素は調和の取れた構成をしているけれども、言葉からできている詩から連想される観念はすべて、配置や関係という点で調和が完全ではありません。

 一方で画家は、自身の構想を、次のような方法で描いたり、表現したりすることができます。つまり、ひとつの中心となる観念を目に伝えるために、その観念と関連した二次的な要素を適切に配列します。その結果、それらすべては調和した集合をなし、心に調和した印象、すなわち完璧な概念を与えます。音楽家もまた同じことができますが、おそらく、その程度は、やや限定されたものになります。

 洗練された音楽家として、ダ・ヴィンチには音楽作品を批評し、評論する能力がありました。一度に一つの音が奏でられる単一の旋律(メロディー)から、私たちはひとつの観念しか得ることができず、それは詩人の限界と同じであると彼は述べています。和音からは、調和した印象が組み合わされたものが同時に耳に伝えられます。したがって、中心となる観念に高い精神性を持つサイキックな性質が与えられ、その観念に関連する様々な要素が調和して、背景を作り出し、より完璧な絵のようなものを作り出します。

 もう片方の手によって奏でられる適切で調和した音によって、私たちには和音が同時に与えられ、耳には複合的な印象が追加されます。楽曲の音色や細部が引き起こすのは、もはや単一の観念ではなく、一枚の絵画とほとんど同じくらい総合的な観念です。

 この議論に、私たちは次の原理を発見します。それは、ダ・ヴィンチが自身の絵画の中で、意図して巧みに用いていた神秘学の原理です。それは美術批評の専門家が、神秘学の研究家ではないために理解し損なっていたものでした。しかしながらすべての神秘家と、精神の深奥にまつわる事柄を理解し評価しているすべての人々は、ダ・ヴィンチの作品の前に立った時に、神秘学の原理が使われていることを感じることでしょう。

 真の神秘家と同様に、ダ・ヴィンチは、創造のための基礎として、想像力だけしか持ち合わしていない人によって製作された作品について警告しています。それは自身が描くものを自身で実践し、経験している人々とは対照的です。ダ・ヴィンチが常に述べているのは、経験だけが、真の理解のための唯一の基礎になるということと、そして、もし人生についての真の理解力を発達させたいのであれば、人生における出来事を、良いことも悪いことも、楽しいことも悲しいことも、あえて経験しなければならないということです。想像力や機械的な論理は、いくら持っていても実際の体験にとってかわることはできません。

 したがって、ダ・ヴィンチは、想像力のみによって、自然と人間の間の仲立ちをする解釈者になろうとしている作家を信頼してはいけないと強く警告しています。彼はまた、人間の精神が受け入れないもの、自然界の具体例によって実証することのできないものに身を委ねることのないようにと警告しています。

あなた方は自然と競わなければならない。
“Yu Must Compete With Nature”

 ダ・ヴィンチは生涯、次の標語に忠実でした。その標語は、彼が、すべての画家、詩人、彫刻家、科学者の従うべき掟であると宣言したものです。「あなた方は自然と競わなければならない!」 自然が、形、釣り合い、色彩において、真似のできないほど素晴らしいやり方で示している、基本的な要素が調和するように配合する方法を、絵を描くときに画家は学ばなければならないと、彼は主張しています。

 いかなる画家も、色彩の組み合わせと描写において、自然と競い合うことはできませんが、画家は、常にそうすることに挑戦しなくてはなりません。それは、彫刻家や作家や音楽家についても同じです。科学的な実験の際には、ダ・ヴィンチは常に自然の建設的なプロセスを模倣しようと努力していました。そのために彼は、物質変成や生命の自然発生についての実験を行い、また他にも、我々が目にしているような驚異を自然が創造し、生み出している作用過程についての実験を行いました。まさにそのような実験において、ダ・ヴィンチは真理を学び、その真理が彼を、あらゆる科学者の中でも極めて偉大な人物にしたのでした。

 当然のこととして、自身の美学的な神秘思想において、そして人生の崇高さと高い精神性から発する美しさのために、ダ・ヴィンチは〈キリストの精神〉を見習おうとし、〈宇宙〉の創造的な作用を模倣しようとしました。このことにより、彼は友人たちから愛され、同時に〈光〉と〈知識〉の敵たちからは恐れられるようになりました。彼の経歴の偉大さを、人々が知るようになると、ダ・ヴィンチの全生涯は、高い精神性と神秘的な荘厳さの手本であると見なされるようになりました。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。